自分を使い切って生き抜く事。それは健康を「攻める」という事。

医学書は最低限の義務

医学書を読もう

これは師匠からの受け売りです。

「医学書を読破するのは民間療法の最低限の義務」

私もそう思います。

国家資格を持たない我々を一般の方はどう見るか。

  • 知識が足りない
  • 学が足りない
  • 経験が足りない
  • 技術が足りない

全てにおいて「足りない」から国家資格を持っていないと判断をします。

当然です。

備わっているなら国家資格を取ればいい。取らない理由は何なのだと。

どの様な理由があろうと「負け惜しみ」として受け取られる。受け取られかねない。それが現状です。

実際、そういったイメージを払拭する為に「国家資格を取得する」という先生も多い。「国家資格は取っておいた方が良い」と指導する民間療法の先生も多いです。それだけ社会的地位が高い。安心材料にもなる。

師匠は違いました。

Name
医学書を読め。医師よりも。
Name
我々の専門領域は限られる
Name
だからトコトン掘り下げろ
私も同感です。
この言葉に従い、医学書を何度も何度も読み返しました。
  • 標準生理学
  • ギャノング生理学
  • ガイトン生理学
  • コスタンゾ明快生理学
解剖学も生理学も、医学書と呼ばれるジャンルであっても書籍ごとに微妙に異なる事に気付きました。
そして「人間の情報が圧倒的に少ない」「断定された情報が少ない」事も知れました。
何より「看護師」「理学療法士/作業療法士」「柔道整復師」「鍼灸師」「整体師」「カイロプラクター」向けの教科書が如何に簡略化された情報なのかを知りました。
「医学書を読め」の意味がやっとわかったのです。
私達人間は未だに人間のカラダを解明できた訳ではなく「現時点で判明した事実」を記載しているに過ぎない。
師匠が口にしていた「医学書の向こう側」の意味がこの時やっと理解できたのです。
医学は人を解明した訳ではなかった。