【番外編】院長、多くの「不便」に気付く
ここで少し番外編となりますが、腰を伸ばせない神経痛との生活は「思いがけない制限」を日常にもたらします。
ここでは私自身が「あ」と思い知った「制限」について記します。
No.1:トイレ
トイレまではハイハイで簡単に到着します。便座に座るのも壁が近いので割と楽勝です。バリアフリーならもっと楽勝です。
その時点で「勝利宣言」を私はしていました。実際「用を足す(小)」のは楽勝だったからです。※座ればいいだけ
問題は「大」です。
まず「いきめない」という現実に直面します。軽くいきもうとすると「激痛」が走ります。イナズマのイラスト通りの電気ショックが走ります。知らずにいきんだ時は悶絶しました。
「自分はトイレもできないカラダになっているのか」
便意はあるけど出せない。出そうとすると電気が走る。自然に降りるのをゆっくりと待つしかありません。ですが、便座に座る姿勢も数分過ぎれば徐々に「嫌な感覚」に包まれます。背中を丸めたり、捩じったりと色んな姿勢で退避するのですが逃げ切れません。
脂汗をかきながら「早く!早く頼む!」とチームメイトお尻にエールを送っていました。
だが、その先には新たな関門が
無事に終わって、ああ一安心。綺麗にしてから部屋に戻ろう。そう思ってトイレットペーパーを巻き取り、さぁ拭こうと思った瞬間。。
ビリビリビリィィ!!
拭く為に身体を少し捩じった途端にやってきました。何故だ?背中を丸めているというのに!
どうやら「捻じれ」もNGの模様。だがしかし、そうなると「目的地に届きそうで届かない」という悲劇が。必ず最後の微調整で「捻じれ」が入るのです。
私にどうしろと?
当たり前の日常が八方塞がりになるという初めての経験。本当に参りました。
症状の重さよりも、こういった「日常の浸食」が心をチーズの様に削り取っていく。それも初めて知りました。
当たり前が奪われていく事、それは日常を閉塞感に満ちた苦行へと変えていくのです。
No.2:お風呂
お風呂は服を脱ぐ、着るのはそこまで苦ではありません。工夫で何とでもなります。
身体を洗うのも工夫で何とでもなります。
問題は湯舟です。これも完全に盲点でした。
湯船に浸かるのは特に問題ありません。痛みが出ない安全圏から動きを作っていく。そしてザブンと湯船に浸かる。
あぁ極楽や。。
本当に気持ち良かったです。シャワー派だった自分が一気にお風呂派になりました。
芯から暖まり、このままお風呂で暮らしたいと思いつつも寮ゆえにそうもいかず。
仕方ない、あがろうか。と両手で湯舟の縁を持ち、力を入れた瞬間
ビリビリビリ!!!!
え?どういうこと?腰は一切動かしてないぞ??何で?腰を反ったか?
思わず「ズボォォン!」と湯船に沈んでしまった院長ですが、今度は背中を丸めに丸めて再チャレンジ。
ビリビリビリ!!!!
どういうことよ?腕に力を入れると「これ」が起こるの?
ならばと両手を使わずに足で上がろうとすると「上半身が水面から出た」あたりで
ビリビリビリ!!!!
待ってくれ!風呂から上がれないやないか!
院長、風呂場で安全圏を失う。
身体を洗ってから数秒でチャポンと浸かった湯舟ですが、まさかの上がる際には20分弱を要する羽目に。
「ここまで影響が及ぶものなの?」
また1つ奪われた日常を前にして、院長の心は磨り減っていくのでした。