0.院長とヘルニアの物語
院長が椎間板ヘルニアを患ったのは20代半ば、名古屋にある上場準備中のベンチャーに勤めていた時でした。
「給料はいらないから働かせてくれ」
面接でこう宣言して勝ち取った内定の椅子。毎日が楽しく1日16時間~18時間は部活感覚で働いていました。
※社宅はタコ部屋で合宿所の様でした。
そんなベンチャーで院長が目指していたのは以下の3点。
- 「20代で役員になる」
- 「30代で独立」
- 「上場を果たしてリタイア」
正にベンチャーあるあるの人生設計。
そして仕事上がりには必ずランニングと筋トレ、たまの休みには「インラインホッケー」に「自転車」と恋愛以外は理想的な人生を謳歌していました。
そんな時です。
椎間板ヘルニアと出会ったのは。
順風満帆だった人生に猛烈な急ブレーキをかけ、突然「暗幕」を降ろしてくれた悪夢の椎間板ヘルニア。
当時「神経痛」「ヘルニア」といった言葉すら知らなかった院長がどの様に足掻いて社会復帰を果たしたのか。
とても泥臭い物語ですが「今、ヘルニアで悩む人」に向けて残しておきたいと思います。
そして何より、この物語が
「俊カイロが生まれた理由」
です。
ですので、当院を検討頂いている方には、業界内でも「極めて特殊な院」である当院がどの様にして生まれたのか。
何故この道を選択したのかを知っていただけるかと思います。